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読書感想文――『変身』カフカ著

 「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。」
 この衝撃的な冒頭。もし、自分がこのような奇妙奇天烈極まりない状況に置かれた場合、どのような行動を取るだろうか。まず間違いなく言えるのは、やはり冷静な状態ではいられないだろうということ。おそらく、自分の姿を見た後、あたかも気が触れたかのような、この世のものとは決して言い得ない、今まで出したことのないような奇声を上げながら、ベッドから勢いよく転げ落ち、部屋の中を隅から隅、はたまた天井まで縦横無尽に暴れまわることだろう。窓のガラスを割り、外へ飛び出てしまうかもしれない。とどのつまり、発狂である。これは例外なく、万人共通ではなかろうか。しかし、そんなぼくの想像とは裏腹に、この本の主人公グレーゴルは、人間としての視点で至極冷静にこの状況を捉え、冷静にこれから先のことを考える。挙句、姿が虫に変身しているのにも関わらず、もうこんな時間だ、仕事に行かなきゃ、などと吐かす始末だ。ぼくはこの時点で、早くも理解不能である。あたかも朝起きたら自分の姿が虫になっていたということなど想定の範疇、とでもいうように、事実を受け止めている。この、事態のとんでもなさに比べた、グレーゴルの淡々とした態度には、怖ささえ感じられるほどである。そしてこれから先も、グレーゴルは自分が突然変身したことにいささかの疑問も不安も抱かず、人間としての視点と意識で日々を生きていく。なぜ、突然虫に変身してしまったのか。その理由を、作品中で作者はなに一つとして説明しない。これは一見、読み手に対してものすごく不親切のように思えるが、翻して言えば、それが今世に渡って名作と呼ばれているゆえんなのだろうと思う。
 ぼくは、この作品中でもっとも重点をおくべきところは、虫に変身した事実、ではなく、一つの変化がもたらした家族の変化、なのだと思う。その一つの変化というのは、体が不自由になる、という条件を満たしてさえいれば、実はなんでもよかった。主人公グレーゴルは、今まで家族の大黒柱であり、家族にとって頼れる存在、であったのに、一つの変化からその地位は奈落の底まで堕落してしまう。はじめでさえ、家族は虫に変身したグレーゴルのことを想い、定期的に食事を与えたり、動きやすいように部屋の中の家具を片付けたりと、なにもすることができないグレーゴルの世話をするのだが、時が経つにつれてその世話はだんだんとおろそかになり、挙句、家族はグレーゴルのことを、ただの毒虫、としか扱わなくなり、最後には最愛の妹にさえ、ただの毒虫、としか扱われなくなる。この家族の変化こそが、この作品中でもっとも重点を置くべきところであり、著者であるカフカがもっとも言いたかったことではないか、と思う。突然起こる交通事故、リストラ、退学、老化、虚脱。つまり、この変身は決して不条理なことではなく、誰もがふとしたきっかけで虫に変身し得る、ということ。
 今現在、社会は多くのニート、引きこもりを抱えている。いわゆる、働かない、あるいは働くことができなくなった人たちのことである。この本が描く家族関係や人間関係は、こういった現代社会をうまく写し出し、そして皮肉っていると思う。学校へ通っていたとき、働いていたときは人に愛されていた、家族に愛されていたはずだ。しかし、自分が置かれている環境が悪い方向へ変化し、自分が正しい機能をしなくなったとき、それまで愛されていた自分はもうそこにはいない。自分の変化に伴って、自分を取り巻く人々の態度もじょじょに変化していき、やがては完全に愛されなくなる。ためしにぼくは、この本の、突然虫に変身した、という部分を、突然精神がおかされ動けなくなった、に置き換え、そんな状況に置かれる自分を想像してみた。すると、この本で起こる変身が、決して不条理なことではないということが分かり、怖くなり、極度の虚無感に襲われた。
 一人の家族が死んだことへの悲しみは、もうそこにはない。家族が、正常の生活が戻ってきたことを喜び、未来へ希望を見出す末尾には、世界、社会、そして人間関係の、本来の姿を示唆しているような気がした。